2009年12月31日木曜日

大晦日のイスラエル、嬉しい悲鳴をあげる:増える人口と人材

【15 Tevet, 5770】2009年を振り返り、イスラエルの人口増加に関する記事が各新聞社から出ています。イスラエル中央統計局(CBS)の去る水曜日の報告では、翌年2010年の国民人口は750万人に達するそうな! 世俗派の少子化を嘆く専門家もいますが、それでもイスラエルには子供たちが溢れています。それは65歳以上の人口が5人に1人の日本に対して、イスラエルは未だ10人に1人(9.7%)がそうで、14歳以下の子供たちは、なんと3割もいる国だからです。また外国から帰還する将来有望な若いユダヤ人も多くいるので、この国には若さと躍動感があります。


1999年からの10年間で、22万1千人のユダヤ人が故国イスラエルへ帰還しました。アリヤーに関しては去る7月に私のブログ記事「09年夏のアリヤー情勢」で取り上げましたが、今週の記事に2009年度の地域別のアリヤー統計が出ていましたので列記してみます。

・エチオピア:0人(今年は政治上の理由で帰還の道は閉ざされました。年明けの1月には250人が帰還の予定。エチオピア国内には未だ8千人以上の“アリヤー待ち”がいるようです。)

・旧ソビエト連邦(ロシア語圏):7120人(北方からの帰還民は昨年比で21%増)

・英語圏(カナダ、米国、英国、南アフリカ共和国、オーストラリア等):約5300人(昨年比で17%増)去る水曜日にも210名が北米から帰還して来ました。

・西ヨーロッパ(英国と東ヨーロッパを除く全域):2600人(昨年比で8%増)

・南米:1230人(昨年比で12%増)

その他イエーメンから47人。モロッコから25人。チュニジアから13人。レバノンから3人。 他に数名ずつ(改宗者の帰還も含めてと思いますが)香港日本モーリシャス共和国中国台湾ホンジュラス共和国マダガスカル共和国ケニヤマルティニーク島の諸国/地域から。

これらの帰還者の過半数が35歳以下の若者だそうです。以上の東西南北の国々から帰還する多くの若者は、イスラエル社会に知的財産や労働力を持ち込むので、力強い存在です。もちろん彼等はまずイスラエルについて勉強し、社会に溶け込んでいかねばなりませんが。中央統計局のまとめでは、イスラエルの人口は2003年以降1.8%ずつ増加しているとのこと。もし、この比率を日本の状況に当てはめるなら毎年220万人ずつ人口が増える計算になる訳です!

ところで日本では少子化と人口減少が問題視されていますが、その一つの対策としてイスラエルに倣って、日系人の故国帰還を認めてはいかがなものですかね? その場合当然、移民者への社会的言語的教育を考えねばなりませんが。3年連続で人口が減少中の日本国もイスラエルのような嬉しい悲鳴をあげてみたいんじゃないかなぁ‥。 

写真)New immigrants at Ben-Gurion Airport Photo: Sasson Tiram
参考)12月30日付けYnet紙: Yael Branovskyの記事/同日付けエルサレム・ポスト紙:Ruth Eglashの記事/同日付けハアレツ紙/1月1日付けYnet

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2009年12月27日日曜日

シモン・ペレス大統領:クリスマスの祝賀挨拶

個人的には今年のクリスマスも前年通り静かに流れ去っていきました。ユダヤ人の友人たちからは「ベツレヘムへ巡礼に行くのか」とか「クリスマスツリーは家に飾っているのか」などと聞かれました。が、今年も私の返答は「行きません」「飾りません」とあっけなく終わります。別にクリスマスをボイコットしているわけではありませんが。休日のないイスラエルでクリスマスに外出するのも、どこにも売っていない“ツリー”を探すのも無理だと思いませんか?


年間を通じて観光客を呼び寄せるベツレヘム市の人口は、12月24日にピークを迎え、この日、3万2千人の住む同市の人口が観光客や巡礼者で1.5倍に膨らみました。今年はクリスマス・ロックコンサートまで開催され、実に物見高い群衆で賑わったようです。市民はこの時とばかりにクリスマスを売り物にして商売に大忙し。今年はベツレヘムのホテル業界も顔がほくほくだったとか。今年もミサやコンサート、建物と装飾品、光のイルミネーション、ミサ参列者の顔ぶれ(アッバス議長とか)、そしてサンタクロースまでも宣伝材料にして、ベツレヘムの観光業界は集客率を上げるために躍起になっていました。業界としては成功したようですが、国民の多くはベツレヘムのクリスマス・フィーバーぶりにはそんなに関心がないようでした。

エルサレムは更にベツレヘムの空気とは異なります。この街ではキリスト教関係施設以外の公の場でクリスマス祭を体験することはありません。一部のユダヤ人のみがキリスト教徒たちに気を配り「ハグ・サメアフ(良い祭日を!)」と声をかけ、キリスト教徒たちもユダヤ人たちに気を配って「メリークリスマス!」とはあえて挨拶をせず、その場の空気を読みながら臨機応変に対応している感じです。イスラエル特有の宗教的断絶感を味わうには、クリスマスの時期にベツレヘムではなくエルサレムを訪れるのがベストかもしれません。

ただ例外として、今月25日に開催されたYMCAのクリスマス集会や旧市街内のルーテル教会の礼拝には多くのユダヤ人達が出席した様です。ユダヤ人女性のあるブロガーが写真付きで記事にしています。私もこうした市内の集会の一つに出席してきましたが、そこも会衆の四隅からヘブル語を話す声が聞こえてきて、エルサレムには不似合いな雰囲気に驚きました。これらのユダヤ人達はメシアニック・ジューでも正統派ユダヤ教徒でもなく、世俗派で無宗教のユダヤ人だと思います。もしくは平和主義者の左派だと思いますが。「メリークリスマス」の挨拶一つで政治的宗教的ニュアンスを帯びやすいエルサレムにも、好奇心旺盛な変わり者のユダヤ人たちがいるということです。

実際、彼等の中からキリスト教への理解を示すユダヤ人が増えれば、又その逆も増えれば、エルサレム住民とベツレヘム住民は(つまりは世界のユダヤ教徒とキリスト教徒が。またはパレスチナ市民が)お互いに行き来しやすくなるでしょう。そう考えた1人にシモン・ペレス大統領を挙げておきましょう。去る12月23日に、世界平和を願うペレス大統領はクリスマス祭を祝う世界のキリスト教徒たちに祝賀挨拶を述べました。国内テレビでではなくインターネットででしたが、その挨拶はエルサレムから世界へ向けて配信されました(視聴したければココをクリックして下さい)。挨拶の言葉は「皆様にクリスマスのお喜びを申し上げます。来る年は平和の年、兄弟愛を分かち合う年、寛い心で受け入れる年、繁栄の年になりますように。そう共に祈ろうではありませんか。」という内容で述べられていました。ガザ戦争から一年を経て2010年に向うイスラエルとしては、当然あるべき祈りでしょうが、大統領はこの祈りを世界のキリスト教徒たちと分かち合いたいということでしょうか。

祈り)雰囲気のみで「メリークリスマス」と口にする世界に、大統領が祝賀挨拶に込めた思いなどあっさり聞き流されてしまうのではないでしょうか。又エルサレムのような、気心知れた者同士だけで隠れてクリスマスを祝う世界では、政治家たちの挨拶などリップサービス程度に聞こえるのではないでしょうか。“それでも”多くの者がクリスマスに平和と希望を願ったのなら、その願いが来年も保たれていきますように。それを願った者たちが主体的に平和をつくっていけますように。

参考)12月23日付けエルサレム・ポスト紙、12月25日付けYnet紙

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2009年12月16日水曜日

ユダヤ人も知らないユダヤ人が書いたクリスマスソング集

今週は世界中あちこちの街角でクリスマスソングが流れていることでしょうね。エルサレムの街角までには流れてきませんが。。。エルサレム在住のキリスト教徒たち(*)は「マッチ売りの少女」のように、マッチ一本の小さな光で想像力をかき立てながらクリスマス気分を味っているよう見えます。(とそこまで言うと大げさでしょうか。)それでもこの時期のエルサレム在住のキリスト教徒は皆ホームシックにかかったような表情をしているんですよね。ホームはここなのにアット・ホームな場所を探しているようで‥‥。この空気は、エルサレムの外にいるキリスト教徒には分からないでしょうね。そんなマッチ売りの少女達を励ますためにクリスマスソングをお届けしましょう。ただ曲を並べるだけじゃ面白くないので、せっかくだからユダヤ人の間では話題にされない「ユダヤ人が書いたクリスマスソング」をあえて選んでお届けすることにします。曲名をクリックするとユーチューブで視聴できるようにしました。曲を聴きながら「作詞作曲したユダヤ人たちはどんな感情をこれらの曲に込めたか」などと想像してみるのも面白いかもしれません。良きクリスマスをお送り下さい。


1)真っ赤なお鼻のトナカイさん [Rudolph the Red Nosed Reindeer]:作曲家ジョニー・マークス(1909−89)は米国NY市出身のユダヤ人。彼が作曲したクリスマスソングは他にもRochin’ Around the Christmas Tree、Holly Jolly Christmas、I Heard the Bells on Christmas Day等がある。


2)ホワイトクリスマス[White Christmas]:作曲家アーヴィング・バーリン(1988−1989)はベラルーシ生まれで米国へ移民したユダヤ人。彼はアメリカ第二の国歌として知られる「God Bless America」の作詞・作曲家でもある。


3)サンタが町にやって来る[Santa Claus is Coming to Town]:作曲家ジョン・フレドリック・コーツ(1897−1985)は米国NY出身のユダヤ人。この曲はヘブン・ギルスピーとの共作


4)シルバーベルズ[Silver Bells]:作詞家レイ・エバンズ(2015−2007)は米国NY市出身のユダヤ人。作曲家ジェイ・リビングストン(1915−2001)は米国ペンシルバニア市出身のユダヤ人。


5)クリスマスを我が家で[I’ll Be Home for Christmas]:作曲家ウォルター・ケント(1911−1994)は米国のユダヤ人。


6)レット・イット・スノー[Let It Snow! Let It Snow! Let It Snow!]:作詞家サミー・カーン(1913−93)は米国NY市出身のユダヤ人。作曲家ジュール・スタイン(1905−1994)は英国生まれ、米国育ちのユダヤ人。


7)スレイライド[Sleigh Ride]:作詞家ミッチェル・パリシュ(1900−93)はリトアニア生まれで米国へ移民したユダヤ人。


8)ザ・クリスマスソング[The Christmas Song (Chestnuts Roasting on an Open Fire)]:作曲家メル・トーメ(1925−1999)は米国シカゴ市出身のロシア系ユダヤ人。共同作曲家ロバート・ウェルズ(1922−98)も米国のユダヤ人。


9)ドゥ・ゼイ・ノー・イッツ・クリスマス[Do They Know It’s Christmas? (Feed the World)]:作曲家ミッジ・ユーロ(1953ー )はスコットランド出身のユダヤ人。共同作曲家ボブ・ゲルドフ(1951− )はアイルランド出身で、ユダヤ人の祖父母を持つ。


10)サンタ・ベイビー[Santa Baby]:作曲家ジョアン・ジャビッツ(1928− )は米国のユダヤ人。米国の政治家ヤコブ・ジャビッツ(1904−86)の姪にあたる。


11)[It’s the Most Wonderful Time of the Year]:作曲家ジョージ・ワイル(1916−2003)は米国NY市出身のユダヤ人。


12)[There’s No Place Like Home for the Holidays]:作詞家アル・スティルマン(1906−79)は米国NY市出身のユダヤ人。


13)[Hark The Harold The Angels Sing]:作曲家フェリックス・メンデルスゾーン(1809−47)はドイツ出身のユダヤ人。後にキリスト教徒になった。この曲にまつわる歴史はココを。日本語では教会賛美歌98番、聖歌123番の「天には栄え」などの邦題で知られている。


以上です。他にもあればどなたか教えて下さい。後でここに貼付けますので。


写真)米国NY市在住のイラストレーター、ラヘル・イサドラ(Rachel Isadora)が描いた「マッチ売りの少女』

 )ここで言うキリスト教徒はごくごく普通の信者たちです。教会に仕える修道士や修道女たち、もしくはメシアニック・ジューたちはそれぞれ異なる次元でこの時期を迎えていると思うので‥‥。

参考InterfaithFamily.com: The Jews Who Wrote Christmas Songs


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2009年12月13日日曜日

ネス・ガドール・ハヤー・ポ

左の写真はハヌカ祭の駒遊びにつかう駒です。四つのそれぞれの面にヘブル語の「פ」「ה」「ג」「נ」と記されています。これは ネス・ガドール・ ハヤー・ ポ」[意味: ここに以前大きな奇跡があった]というフレーズの頭文字です。「ここ」とは今私が住むエルサレムです。エルサレム以外に住むユダヤ人は「פ」の一文字を「ש」と置き換え「“あそこ”で以前大きな奇跡があった」というフレーズで駒遊びをします。ところで、”ここ”エルサレムでかつてどのような奇跡が起きたのでしょうか? 今日はこの駒遊びのフレーズが物語るハヌカ祭の歴史に焦点を当ててみることにします。


ハヌカ祭を祝う冬期、キリスト教徒は「処女マリヤが神の霊を受けてその母胎に生命を宿した」ことを記憶します。これは偉大な奇跡です。しかしその奇跡はエルサレムで起きたものではありませんでした。ハヌカ祭の奇跡は、聖書の外典とされるマカバイ記1〜4章に詳しく記されており、時代的には中間時代(紀元前4世紀からイエス誕生の年までを指す)の出来事です。死海写本を残したとされる共同体とも時代的背景が重なります。


そこで簡単に中間時代のパレスチナ地方の政治の説明をしておきましょう。

タナク(旧約聖書)の歴史はペルシャ時代をもって終了します。その後(紀元前332年)ペルシャ軍を倒したアレキサンダー大王はパレスチナを含む西アジア全域に勢力を延ばし、それにより時代はペルシャ時代からヘレニズム時代へ移行しました。パレスチナ地方のギリシャ化は、エジプトに拠点を置くプトレマイオス朝によって紀元前198年まで、それ以降はシリアに拠点を置くセレウコス朝によって推進されました。こうして西アジア全域は言葉も文化も宗教もギリシャ化されていき、ローマ軍が紀元前70年にエルサレムを攻め落とした後も続きました。


こうして近隣諸国が代わる代わるエルサレムを支配した中間時代、ある一時期、つまりマカベヤの反乱からの約百年間だけは、ユダヤ人たちはユダヤ教徒として自由に振る舞える時期がありました。この「ハスモニア王朝」と呼ばれる百年は、すでにギリシャ化したユダヤ人が、神殿礼拝を重んじ、ヘブル語を学び直してトーラーを読み、聖書の祭り事を回復させた意義深い時代だったのです。ハヌカは、この時代を築いた「マカベヤの反乱」と関係しています。


その反乱前のパレスチナ地方に話を戻しましょう。時のセレウコス朝皇帝アンティオコスはユダヤ人が宗教的にならぬよう数々の政策を打ち出しました。当時の宗教弾圧の様子はマカバイ記に記されています。「その内容は、他国人(異邦人)の慣習に従い、聖所での焼き尽くす捧げ物、いけにえ、ぶどう酒の献げ物を中止し、安息日や祝祭日を犯し、聖所と聖なる人々を汚し、異教の祭壇、神域、像を造り、豚や不浄な動物をいけにえとして献げ、息子たちは無割礼のままにしておき、あらゆる不浄で身を汚し、自らを忌むべきものとすること、要するに律法(トーラー)を忘れ、掟をすべて変えてしまうということであった。そして王のこの命令に従わない者は死刑に処せられることになった(1章44〜50節)」。続いて「キスレブの月の25日」には、神殿内に偶像が設置され、その後2年間は艱難時代でした。多くの信者が弾圧を受け、処刑され、彼等の聖文書は燃やされていったからです。ギリシャ的自由主義に基づいた反ユダヤ政策が激化していく中、ついに、民衆の中から祭司マタテアとその息子たちハスモン一族が立ち上がりました。息子の一人、ユダ・マカベウスが軍事蜂起を行い、ユダヤ人とギリシャ人との間に戦いが始まったのです。


この戦いでユダヤ民衆は見事にシリア系ギリシャ軍を倒し、神殿を奪回しました。そして彼等は神殿をもう一度潔めるために、ゼウス神が据えられた2年前の「キスレブの月の25日」を奉献日と定め、紀元前164年の同日、聖書の神ヤハウェに神殿を再奉献しました。奇跡はこの時に起こりました。当時、神殿内の燭台用オリーブ油は一日分しか確保できなかったといいます。それでも祭司らは一日分の油で薄暗い神殿内を照らすことにしたところ、燭台の灯火は8日間も点し続けたというのです。 これが「ネス・ガドール・ハイヤー・ポ」です。


興味深いことに、死海文書の「戦いの書」には闇の民と闘う"光の民"についての物語が記されています。マカベヤの反乱と直接結びついているかは分かりませんが、「戦いの書」はこの中間時代の宗教弾圧と戦いを土台として描かれています。


祈り)今日神の宮を再建し暗闇に光を点す者は誰なのでしょうか。光が見えない状態で、光の存在を信じ、光を点すために「闇」と闘う者たち全てに勇気が与えられますように。

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2009年12月4日金曜日

ハヌカは「ユダヤ版クリスマス」?


年々派手になる世界各地のクリスマス商戦で、特に米国のクリスマス宣伝が功を奏したのか、同時期に祝うハヌカ祭も一般に知れ渡るようになりました。米国では大衆向けにハヌカを売り物にしているのか、アメリカンジューの家庭にはハヌカブッシュなるものまでが存在します(写真)。それが「ユダヤ版クリスマス」の謂れにもなっているようですが。ハヌカはクリスマスと時期的に重なる点と史実に基づいているという点では類似しています。ところが祭りの起源とされる出来事が全く違うので、とてもユダヤ版クリスマスとは言えません。ちなみに冬が到来する度に熱狂的キリスト教徒は、世界がクリスマスを中心に回っているかのように宣伝しお祝いします。けれども祝日の12月25日、クリスマスツリー、サンタクロースやトナカイ、クリスマス色の緑と赤は史実に基づいているとはいえず、こうした伝統を基にするならクリスマスは「異教の香り」を放つだけになってしまうでしょう。クリスマスの時期になるとベツレヘムにまでサンタクロースが出没する(!)時代ですから、エルサレムの住民の目にはクリスマスは不可思議なお祭りです。そんなクリスマスと同一視されるのはユダヤ教徒としては嬉しいものではないはずです。実際エルサレムで「メリークリスマス」と挨拶を交わすものなら、冷ややかな視線を浴びるだけです。そこでハヌカとクリスマスをごっちゃにしてしまう方に、ハヌカがどのようなお祭りなのか以下に記してみたいと思います


時期:キスレブ(ユダヤ暦の冬期にあたる)の25日から8日間(外典マカバイ記4章59節)。これは「キスレブ月25日」であって12月25日ではありませんよ。起源とされる出来事はナザレ人イエスの誕生より160年以上前のもの。今年は12月12日からの8日間です。その起源とされた出来事については次ぎの回で紹介することにしましょう。

名称:ハヌカ祭。別称、光の祭典(ハヌカ期間中ろうそくに火を灯すお祭りなので)。宮清めの祭り(または神殿奉献記念祭)。ちなみにクリスマスの主人公のナザレ人イエスもユダヤ人だったのでハヌカ祭をお祝いしています(新約聖書のヨハネ伝10章22節から数節)。


伝統: ハヌカ祭にも、後代に付加されて今日の伝統になったもの、例えば「駒あそび」や油揚げのお菓子や料理などもあります。ハヌカ・ドーナツ(“スフガニヤー”)は私の好物なので、作り方サイトを紹介しましょう→クックパットよみ魔女さんのレシピー」。異邦人に最も知られている伝統は、ハヌキヤ(8本の燭台)を使うことです。ハヌカ祭が始まった日の日没に、この8本ある燭台の一本目にろうそくを灯します。ハヌキヤは毎晩一本ずつ8日連続で灯されていきます。エルサレムの住宅街(特に旧市街のユダヤ人地区)を夜に歩けば、窓際に置かれたハヌキヤが、冬の寒さと暗闇を忘れさせてくれます。


聖書から考えるハヌカ:「神への奉献」を意味するハヌカ(חנוכה)という言葉は、ネヘミヤ記12章27節に使用されています。後のハヌカ祭を指す用語になる以前、この言葉には異教徒に侵されたエルサレムを再び取り戻し、神殿を神様へ奉献するという意味がありました。ハヌカ祭は「マカベア戦争に勝利し、神殿を取り戻した記念祭」ですから、この言葉の意味と合致します。同時にハヌカという名詞の語根(ח,נ,כ)を動詞に変えると「子供に教える」という意味になります。ハヌカ祭の「神の宮は常に聖書の民の中心に置かれる」というメッセージは将来を担う子供たちへ教え伝えたい内容です。エルサレムからだいぶ離れた欧米ユダヤ社会でも、クリスマスツリーを真似るだけじゃなく同じハヌカ・メッセージが語られているといいですよね。このかわいい写真はYnet紙から借用。

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2009年11月27日金曜日

服部モーシェ氏:ユダヤ教のラビになった元キリスト教牧師

エルサレムの超正統派ユダヤ教徒たちで知らない人はいないこの人、服部モーシェさん。本名は服部信孝。以前はキリスト教の牧師だったという彼が、ユダヤ教に改宗し、その後ユダヤ教を若きユダヤ人達に教えるラビ(教師)にまでなったということでへレディーム(超正統派の呼称)の世界では有名人です。イスラエルにはユダヤ人男性と国際結婚し、ユダヤ教徒になった日本人女性は結構います。ところが結婚を介してではなく、1人の異邦人男性があくまで自主的に改宗した例は—それも奥様と同伴でという例は、服部ご夫妻を除いて他に例はないと思います。ちなみにモーシェ氏の奥様はチッポラという改宗名をお持ちで、聖書的で素敵なお名前です。服部氏の人生劇は御自身のブログ記事「ユダヤ教に真理を求めて」で紹介されています。というわけで、服部氏のブログ記事を読んだ私の感想を以下に記してみました。




  • ブログ内で服部氏は「改宗は宗教変えだけではなく民族変えも意味する」とおっしゃっています。その「民族変え」という表現と、そのために同氏が払った犠牲の大きさに私はユダヤ教への疑問と驚きとを抱いてしまいました。
  • もちろん服部氏が14歳の時に「神に会いたい」と願望したその熱いエネルギーは、キリスト教を経てユダヤ教の中で今日の彼を動かしているのだと察します。その探究心と決断力の大きさには圧倒されます。
  • しかし偶像礼拝者だからとお父様のご葬儀に出席するのを拒みつつ、その一方で、ご長男としてお父様の残された遺産を相続したというのでは「民族変えの法則」は全うされなかったことになるのではないでしょうか。
  • またお父様の残された財産の恩恵を受けて、数百万円もするトーラーの巻物をお買い求めになったのなら、たとえ「宗教がえ」をしても、日本のご家族(たとえ彼等から「あなたは他人です」と跳ね返されても‥。)と縁を切るのは残酷だったような気がします。
  • ユダヤ教は異邦人との結婚は禁じていますが、異邦人との接触や対話までをも禁じるのでしょうか。そうは思いませんが。
  • もし超正統派のラビでさえ(服部氏のように)インターネットを使用する時代になったのであれば、スカイプ電話やEメールによる交流は可能なはずです。
  • 私が心配してもしょうがないのでしょうが。お子様のいらっしゃらない服部ご夫妻のこれからや、ご親族や他の日本人との関わりについて考える時、私は「民族変え」という言葉を聞き流すことはできず、服部氏はとても重たい現実と戻ることのできない人生の狭間の中で日々を過ごしておられるのだろうと切に感じました。


祈り)服部氏と奥様が、又それぞれが日本に残してきたご親族が、人生の最後に「これで良かった。」と心から自分自身とお互いに告げることができたら。そんなことを心にとめつつ彼等の人生の祝福をお祈りします。


経歴)服部信孝。昭和35年、愛知県名古屋市生まれ。未熟児網膜症を持って生まれたため、現在左目は失明し、右目は強度の弱視である。東京神学大学卒。27歳で日本キリスト教団須崎教会(高知県須崎市)の牧師になり、その後日本キリスト教団名古屋桜山教会副牧師となる。任職の間悩み、イスラエルに渡る。即改宗手続きを始めた平成6年、一年以内で改宗のための勉強を終え、妻と共にユダヤ教徒になる。以降ユダヤ教の研鑽を積み、日本人初の超正統派ユダヤ教のラビとなる。エルサレム市在住。


参考)2007年5月31日付け:Ynet紙:ここにはラビ・ハットリ(服部氏)がトーラーを学んでいる様子が動画で紹介されています。2009年7月2日付け:www.vosizneias.com:これはニューヨークの正統派コミュニティー・ブログ。服部氏の写真をここから借用しました。服部氏のブログ「ユダヤ教に真理を求めて」。
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2009年11月20日金曜日

昨年指定されたイスラエルの祝祭日:エチオピア系シグド祭

昨年7月、クネセット(イスラエル国会)はエチオピア系ラビの申請を受けていたエチオピア系ユダヤ人の宗教祭、シグド祭 [Sigd]を正式にイスラエル国の祝祭日に指定しました。シグド祭はユダヤ暦ヘシュバン月[חֶשְׁוָן:意味は8番目の月。時期的にはユダヤ宗教暦から数えて8ヶ月目の晩秋の29日にお祝いします。まだ制定されたばかりで、非エチオピア系の国民にはまだ馴染みがありません。そこでシグド祭を紹介させていただきます。


私も実は先週はじめてシグド祭の存在を知った者なので、このブログに載せるために勉強してみました。簡単に申し上げると、ユダヤ教のシャブオット祭のエチオピア版です。このシャブオット祭は、ペサフ祭(過ぎ越し祭:出エジプトの記念祭)から数えて7週間後に持つ祝祭で、シナイ山麓に居住していたイスラエルの民のために神がシナイ山頂でモーセを通して与えた十戒とその他もろもろの教えを記念してお祝いします。しかしエチオピア系ユダヤ教の伝統では、神の律法は、ソロモン時代、分裂王国時代、捕囚と離散時代を経て、イスラエルの民に忘れられていき、再び神の教えに立ち返り、律法を読み直したのがエズラ・ネヘミヤの時代だった。その時期が、ヨムキップール(ユダヤ新年に持つ悔改めと罪のあがないの日)明けから数えて7週目だったというのです。そしてヨムキップール明けの仮庵祭が喜びの週であるように、このシグド祭ではヘシュバン月の29日の週に詩篇を読み、歌って踊り、喜ぶのだそうです。

というわけでシグド祭も、シャブオット祭とコンセプトは同様らしく、律法を授かったことを喜ぶお祭りのようです。正確には律法授与ではなく律法再読の喜びだと思いますが。詳しくは聖書のネヘミヤ記8章1〜3節でご確認下さい。

国の祝祭日として指定されて2年目の今年、シグド祭は先週の11月16日(月)から始まっています。この日は国内から3500人(非公式のニュースでは一万人)のエチオピア系ユダヤ人達が都上りをし、エルサレムで集会を開きました。

祈り)エチオピア系ユダヤ人はイスラエル国に約12万人いると言われています。エチオピア人にとり、シグド祭は自分たちのユダヤ性の保持に加え、この国で民族的アイデンティティーを主張できる祭りです。エチオピア系ユダヤ社会に今週シグド祭の喜びが満ちあふれますように。

参考)11月17日付け:エルサレムポスト紙
エチオピア系ユダヤ人のHP:宗教、言語、食事、音楽、伝統などを簡単に紹介しています。
・こちらはシグド祭の写真集:クリック
写真)1枚目(Jewish Daily Forward: Nathan Jeffay)、2枚目はエチオピア系ユダヤ教のラビ達。(写真家:Melanie Lidman)
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2009年11月14日土曜日

「信仰の敵」次々と襲った極右イスラエル人逮捕

11月7日付け産経新聞、大内清氏の記事をそのまま下記に添付します。イスラエル社会が右傾化してきているのでは、と地元のニュースでも大きく取り上げられています。——————————

イスラエルで10月、入植地に住むユダヤ教超正統派の男が逮捕された(写真)。男は12年間にわたり、パレスチナ人殺害やイスラエル人平和運動家襲撃、イエスを救世主として信奉するユダヤ人「メシアニック・ジュー」への爆弾テロを実行したほか、8月に同性愛者2人が殺害された事件に関与した疑いもある。民族、政治信条、信仰の違う人々を次々と標的にしていたこの男。同国メディアは、極端な宗教観に突き動かされた「テロリスト」として、生い立ちや思想的背景について大きく報じている。

 ■厳格な家庭・入植活動に傾倒

 男はヨルダン川西岸中部のイスラエル人入植地シュブト・ラヘルに住むコンピューター技術者、ヤコブ・テイテル容疑者(37)。8月にテルアビブで起きた同性愛者の襲撃事件を支持するビラを配ったとして10月7日、同国の国内情報機関シンベトと警察当局によって逮捕され、他の事件への関与についても供述を始めた。

 イスラエル紙ハアレツ(電子版)などによると、テイテル容疑者は1972年、米フロリダ州に生まれた。両親とも超正統派のユダヤ教徒で、幼いころから宗教的に厳格な家庭環境で育った。大学では心理学を専攻したという。

 90年代半ばごろから、ユダヤ人の若者の間で広まった西岸への入植活動に傾倒し、観光ビザを使ってイスラエルに頻繁に渡航するようになった。

 テイテル容疑者はその後、米国でコンピューターに関する資格を取得し、99年から実際に入植地で生活を開始。2000年にイスラエルに帰化した。3年後には英国出身のユダヤ人女性と結婚し、4人の子供をもうけた。

 ■「静かな性格」

 「物静かな性格で、ほかの入植者との付き合いも少なかった」

 親族ら関係者がこう口をそろえるテイテル容疑者。だが、その裏では、次々と凶悪犯罪に手を染めていた。

 これまでに判明しているだけでも、テイテル容疑者が実行したとみられている事件は多岐にわたる。

  ▽パレスチナ自治区ヘブロンでパレスチナ人の男性2人を射殺(イスラエル移住前の1997年)

  ▽「メシアニック・ジュー」の一家がプレゼントを装った爆発物を送りつけられ、15歳の息子が重傷(2008年3月)

  ▽パレスチナとの和平・共存を主張する平和運動家の大学教授宅に仕掛けられた爆弾が爆発し、教授がけが(同年9月)

  ▽同性愛者パレードの警備を担当した警察署の爆破未遂(時期不詳)

 同紙によると、当局では、8月にテルアビブの同性愛者集会所で男女2人が殺害された事件についても、仲間を使って襲撃させた可能性があるとみて調べを進めている。97年の別のパレスチナ人殺害事件にも関与していた可能性が高いという。

 ■信仰上の「敵」

 接点がないようにも見えるこれらの事件だが、狂信的なまでの超正統派ユダヤ教徒であるテイテル容疑者にとっては、いずれの事件の被害者も、信仰上、許すことのできない「敵」だったようだ。大学教授を狙った事件の現場近くには、ユダヤ教の教えに反する政策をとっているとして政府を激しく非難するメモも残されていた。

 こうしたことから、テイテル容疑者の犯行の動機には、西岸全土を含む土地をイスラエルの領土と見なしてパレスチナ国家を否定したり、同性愛者やメシアニック・ジューを異端視したりするユダヤ教強硬保守派の考え方が色濃く反映していることは間違いないとみられる。当局ではさらに動機の解明を進めるとともに、ほかに関与した事件がないか調べている。

 一方、同国の英字紙エルサレム・ポスト(電子版)によると、イスラエルでは近年、アラブ系女子校爆破未遂(2002年)や、アラブ系市民4人が殺害された事件(05年)などユダヤ教徒による凶悪犯罪が続発。パレスチナ人らを標的とした未解決事件も多い。

 それによってパレスチナ側の態度をさらに硬化させて報復を招くという面もあるだけに、メディアでは捜査当局に対し、こうした事件の摘発強化を求める声も高まっている。

感想)テイテル容疑者と並行して、ロシア移民のユダヤ人による一家6人殺害事件も最近のニュースでした。こちらは世俗派のユダヤ人の間で起きた事件。どちらも移民してきたユダヤ人ということで、移民したユダヤ人(アリヤー組)には痛いニュースです。またイスラム教徒を殺害したテイテル容疑者は、同胞をも—メシアニック・ジューや同性愛者でしたが—殺そうとしました。また彼の立場を擁護する超正統派のラビもどうやら存在するようで、ユダヤ教内の右派と左派の対立は今後激化しそうです。

祈り)イスラエルではユダヤ人の間にある左翼と右翼の対立は政界と宗教界の間にはつきものです。最近は大学内でも対立が目立っています。彼等がものさしとする「聖書」そのものの解釈にアカデミックな世界でも大きなズレが生じている様子。この大きなズレと議論と対立を通して、彼等が追求してやまない“神の義”—神の目から見て何が本当に正しいのかを—極めていけますように。

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2009年11月6日金曜日

アラブ語版「アンネの日記」出版に向けて

世界的ベストセラー「アンネの日記」の新しいアラブ語版がレバノン国で出版されました。しかし同国内のテロ組織ヒズボラが反発し、レバノン政府に出版関係者の逮捕を要求しています。またこの本は、ファーシー語(別称ペルシャ語:イラン、アフガニスタン、ウズベキスタン、タジキスタンで話されている言語)にも訳されて、同時出版されました。

『アンネの日記』を知らない人はいないと思いますが、彼女の生涯やホロコースト史を詳しく知りたい方のために下記にリンクを貼っておきます。
・ウィキペディア「アンネの日記」
「アンネの日記」とユダヤ人虐殺:ホロコースト
・ウィキペディア「アンネ・フランクの家」

祈り)ホロコースト否定論がまかり通ると、およそどの民族間にも存在する妬みの感情や敵対心に対して、世界は制御できなくなります。ですからイスラム教圏内にホロコースト史を語る学校が少ないといわれる中で、こうして発行されたアラブ語版「アンネの日記」が普及し、読まれていきますように。

参考記事)11月4日付け、ハアレツ紙

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2009年11月5日木曜日

イランからヒズボラへ向う船から大量の兵器見つかる

去る11月4日、キプロス島近くで、数百トンのミサイルやロケット砲を積んだ船が拿捕されました。この船はイラン国から紅海、地中海を経由してレバノン国へ向う途中でした。しかし船に積まれた兵器をイスラエル国防軍により発見され、だ捕されました。これら大量の兵器はテロ組織ヒズボラへ渡される予定だったようです。写真はコンテナに積まれた大量の兵器の一部。映像で見たい方はこちらから。

つい最近、ガザ地区ではハマスが周囲60キロ圏内にミサイルを飛ばす実験に成功しており、ガザ戦争後のハマスは今も武装中で、より強化されてきたという報告も出ています(11月3日付けの国防軍諜報機関のアモス・ヤドリン氏の報告)。ガザから60キロ圏内といえば、イスラエルの経済都市テルアビブが含まれているため、ハマスの次なるねらいは経済の中心地テルアビブだと識者の間ではささやかれています。

最近のゴールドストーンがまとめたガザ戦争レポートにより、国連側とイスラエル側のテロリズムに対する防衛論、戦争論には大きな開きがあることが報道されています。イスラエル政府はその開きを縮めたいところですが、水面下でテロ組織達が活発に動き始めている最中、国防軍は手を休めるわけにはいきません。「国連は我々をテロから守ってはくれない」という感情に加え、度重なるテロ組織の活動報道により、イスラエル国内の緊張感は高まり続けています。

祈り)イスラエルの国の安全を守るのは国防軍です。今後の中東戦争が核戦争まで発展しないように、命をはってテロ防衛にあたっている国防軍の働きが国連に認められますように。

参考記事)11月3日付け、ワッラ・ニュース、11月4日付け、ハアレツ紙:11月5日付け、エルサレム・ポスト紙

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